走馬灯はゲームと共に

ゲームをやり過ぎて、俺の走馬灯はゲームの映像だらけになった

人生の閲覧履歴は一生消せない

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Twitterなどのお手軽なSNSが当たり前のこの時代、個人ブログを始めようという人はどれくらいいるんだろうか。

結構いるのだろうか?Twitterって楽だもんな。思った事すぐ文にするにはもってこい。俺は昔から三日坊主だし、"筆まめ"なんて呼ばれるような人間でもない。Twitterみたいに手軽なのが丁度いい。



それを何故今になってブログを作ろうとしたのか。




俺は思った事をすぐ吐き出したくなる性分なのでTwitterにはがっちりハマった。病的なまでに呟きまくる人ほどではないしむしろ少ない方だと思うが、便利に使わせてもらっている。
だがツイートを書いていてふと思う事がある。



「これ、しっかり文章にして残した方がよくないか?」



俺の脳内イメージ的にTwitterのツイートは『垂れ流し』、川で流れている小さい葉っぱみたいなもんだと思う。

流す人やその人周辺のコミュニティ、葉っぱを眺める人によってその川の規模、流れる早さ、葉っぱの大きさや量は違うが大体そんなイメージ。


それはそれで気軽で好きだし、俺の川や流す葉っぱなんてそりゃもう小さいもんだから川なんてもんじゃなくて、水たまり程度だけど。

でもそれでも、その時々に俺の中で出来た考えや意見を"モノ"として、形あるものとして残したいと思ったのだ。


Twitterのツイートもそりゃ残ってるちゃあ残ってるが、文字制限のおかげでとぎれとぎれだ。それをひとかたまりにこねてこねて、ぐっちゃぐちゃになって出来上がったきったねえ泥だんごとして公園の砂場に置いておきたいのだ。

このブログでは、俺がプレイしているゲーム等のプレイ日記とかゲームについて考えた事、その他ごった煮を書き留めていく。



俺は、「意見」や「考え」には"好き嫌いはあれど良い悪いという物差しは存在しない"と考えている。

どんな考えでも見る角度を変えれば(言ってしまえばその考えの持ち主からは)正しく見えるし、どんな意見にも賛成意見と反対意見は存在する。
そこにあるのは"好き嫌い"という物差しだけ。自分がその考えを好きか、嫌いか。それだけの違いでしかない。


なので、「俺はその考え好きだな」「その考え、俺は嫌いだな」という自分の意思を表する事はあれど「その考えは間違っている」とは絶対に言わないようにしている。「俺はそう思う」という肯定は「その考えは正しいと思う」という"正義の後押し"ではない。

結局、"好き""嫌い"でしかないのだ。



そして俺は「人間はその時の感情をそのままぶちまけるべき」と考えている。嫌な事があったら嫌だ!と言い、嬉しい事があれば万歳して喜ぶ。それこそが人間の正しい在り様だ。

だから俺はこのブログで時には喚き散らすし、時には両手離しで喜ぶだろう。本音と建前の社会と揶揄される日本社会ではあまりこういう姿勢は評価されないことが多いが、そんなものクソくらえである。

俺はこの本音と建前の社会が大嫌いだからだ。



海外かぶれを気取るつもりはないが、海外の人らと交流するとほとんどの人が日本人にそういう表裏の印象を抱いているのが分かるし、全然そうじゃない日本人である俺に驚く・・・ってのはまあ今はどうでもいいわ。



なので俺はこのブログで、自分の好き嫌いを自分の好きなように自分の好きなタイミングで書くつもりでいる。それを読んで不愉快に思う人もいるかもしれないが、俺には関係ねえうるせえだまれごめんの精神。



そういう考えを持ってこのブログを書いている事を知っていただけるとありがたい。
結局の所、ただのゲーム好きのひねくれ者が書くどうしようもないゲームブログという事。


とかいう記事を一発目に書くと今後作られていく記事はよっぽど大層なんだろうなと思われるかもしれないが、そうでもない。



俺はこのブログを、時代に取り残された、砂まみれで泥まみれで小汚い荒廃した廃墟のような、鉄や錆のにおいのする古臭いブログにしたい。